「Travis Japanがくれる幸せ」について

 

Travis Japanがくれる幸せ」(『ダ・ヴィンチ』2020年11月号より)

 

「噂の幸福度No.1グループTravis Japan(『ViVi』2020年12月号より)

 

2020年、Travis Japanはありがたいことに沢山の雑誌に取り上げていただけて、それだけでなく、表紙や裏表紙にも多数掲載していただけている。そのなかでも、ダ・ヴィンチさんとViViさんのキャッチコピーには、「幸せ」、「幸福」という言葉がTravis Japanというグループの枕詞として使われていて、私は自分自身のホームの温かさに改めて気づくことができた。

 

"アイドルがくれる幸せ"ってなんだろう。

 

雑誌を買ったり、DVDを観たり、コンサートや舞台を観に行ったりすると、とても楽しい。まあ、そういうのはもしかしたら"一時の楽しみ"なだけかもしれないし、それがジャニーズジュニアとなると、立場が不安定なぶん余計に拭えない。けど、その瞬間瞬間の楽しみを紡いで、自分の人生を幸せだと一瞬でも思えたらそれはもう、じゅうぶん万々歳なような気もする。

 

宮近「僕たちのファンは、自分もTravis Japanの一員だと思ってくれる方が多いです」

松倉「僕らが楽しいと、自分も楽しいって思ってくれるんだよね」

引用元:『ダ・ヴィンチ』2020年11月号

 

松倉「アイドルって幸せを共有できる存在だと思う。夢の中で感じられる幸せ、ファンが求めてくれているものを届ける中で生まれる幸せ、そういう幸せの全部を一緒に、同時に感じることができる」

引用元:『ダ・ヴィンチ』2020年11月号

 

「好きな人が幸せなら私も幸せ」

 

そういう、幸せの伝播的な意味での"アイドルがくれる幸せ"というのがまず一つ目として挙げられるのかなと。

 

一つ目、と言うと、二つ目があるような感じだけど、私は、最近のTravis Japanを見ていると、

 

「好きな人の生き方や考え方を通して、自分自身の人生を豊かにする」

 

というのも、"アイドルがくれる幸せ"なんだと強く感じる。

 

私の体感では、日本のアイドルが社会性やメッセージ性のあることを言ったりすることは少し前まではあまり見られなかったというか、純粋に"エンターテインメントを届けてくれる存在"という認識だったけど、最近ではいわゆる"高学歴ジャニーズ"も沢山というほどではないかもしれないけど増えてきたように感じるし、あとは、ファンが純粋にエンターテインメントを楽しめるためにも、そのエンターテインメントを届ける側の人間が、グローバルな思考を持って、価値観をアップデートしていくことが必要不可欠になったと、一ファンながら思うようになった。

 

そして、一人ひとりの人生の在り方や、幸せについて皆で考えていこうという動きに、少しずつだけど社会全体がなってきたなかで、今回、アイドル誌ではない外部の雑誌が「幸福度No.1グループ」というキャッチコピーを付けてくださったことには、Travis Japanというグループが、私達がより幸せになるきっかけを与えてくれて、そして共に幸せを見つけていける存在ということを表しているように思えた。

 

川島「SDGs(Sustainable Development Goals)の掲げている『誰一人取り残さない』という原則は、まさにその通りだと思っているんです」

宮近「僕らのやっていることにも当てはめられるよね」

吉澤「如恵留は、手話もマスターしているんですよ。だからより多くの人に楽しさを届けられる」

川島「僕らが今活動できているのは、確実にファンのおかげです。だからこそ、応援してくれる人を一人も残さず幸せにしたい。簡単なことじゃないかもしれないけど、僕らならできると思うんですよ」

引用元:『ダ・ヴィンチ』2020年11月号

 

のえまるでは、如恵留くんのこれまでの人生の話、そして、言語やジェンダーなどの多様性の話から、ファンの多様性(いつからファンなのか、どのように応援しているか)まで、幅広いトピックが、誰が読んでも分かりやすい文体で綴られている。そして、如恵留くんはそのどのような人にも、いつもそっと手を差し伸べてくれる。

 

この、「人を卑下しない」、「誰も取り残さない」という考え方は、私のなかでも少しずつ芽生えて、育ってきているように感じる。もしかしたら、他のトラジャ担のかたもそうかもしれない。

 

好きなアイドルの生き方、考え方を通して、自分自身がどうあるべきかや、どのように幸せを見つけていけるかを考えられる。Travis Japanは、まだデビューを控えた身でありながら、出会った人々を幸せへと導いてくれる、そんなグループだ。私も胸を張ってそう言うことができる。

 

とはいえ、自分自身、如恵留くんが言う「誰も取り残さない」の「誰も」のなかに、宮近くんが言う「僕の人生を彩ってくれている人」のなかに、そしてTravis Japanが言う「ファンのみんな」のなかに、自分は入っているんだろうかと、ときどき分からなくなることがある。分からなくなって、どうしようもない疎外感を感じることもある。それは、さっき言ったファンの多様性のなかで、自分が少数派側にいると感じてしまっているからだと思う。

 

私が特別、Travis Japanのために何かをしてあげられたことはきっとない。

 

初めて好きになった時も、私は中学3年とか高校1年とかで、出演しているテレビを見る以外はせいぜい、雑誌を一冊たまに買えるか、ジャニーズショップで写真を数枚買えるかくらいのことしかできなかったし、あとはTwitterで好きということをつぶやくだけだった。地方に住んでいるのでコンサートにも行けなかった。今も、バイトで得たお金で、以前よりは雑誌やグッズも買えるようになり、とらまるも読めるようになり、あとはコロナ禍の恩恵を受けて、コンサートの配信もありがたく見ることができたけど、各所に要望を送ったりできるまでの余裕はまだなく、全然、積極的なファンではないと自分でも思う。

 

自分が離れている間、Travis Japanの大事な時に彼らを支えた他の沢山のトラジャ担のおかげで今のTravis Japanの人気があるんだという、感謝と、少しの引け目。

 

自分がかつて愛したものは今はもうないという変わらない事実と、いまいち何者にもなりきれていない自分への悔しさ。

 

そういった燻った感情があるから、ときどき昔を思い出しては落ち込んだりしてしまったり(とくにこの秋の夜のセンチメンタルな雰囲気はかなり精神的に来る)。

 

でもだからこそ、今の自分にできることは何だろうと考えたりして、こうやってブログを始めたり、趣味で楽譜をつくってみたり(全部素人レベルだけど…)、新しいことに挑戦するなかで色々見えてきたもの、得たものがあるし、あとは、昔を少し知っているからこそ感じられる今のTravis Japanの成長も沢山ある。

 

つい自分の話をしてしまったけど、私だけでなく、あらゆる場面においてどうしても生まれてしまう少数派の人々に対しても、たとえばブログ等で、様々な理由で現場に来られなかったファンへ心遣いをしてくれたり、手話を使ってくれたりと、Travis Japanは現に、いつだって、誰にだって手を差し伸べてくれている。

 

だから、結局は、自分の心の持ち方次第なのかもしれないと。

 

私の好きなアーティストが書いた本に、こんな言葉が載っている。

 

エンターテインメントの役割は「人を幸せにする」のではなく「幸せになろうとする人の手助けをする」ということだと僕は考えています。(中略) 僕は観客に、作品を通して「がんばれ」という命令はしません。まずは僕自身ががんばる。それを観たがんばろうとしている人が「よっしゃ、自分も」と共鳴してくれたなら、僕は役に立てたと思えるのです。

引用元:小林賢太郎『僕がコントや演劇のために考えていること』

 

この言葉に近いものが、ダ・ヴィンチでの宮近くんの言葉のなかにあった。

 

宮近「僕らジャニーズのアイドルにとって、その幸せがとても大事。僕たちが提供するものにはすべて、必ず幸せがあるんです。(中略) 僕たちを応援してくれる人のほとんどは、ハッピーを求めてきてくれている。だから、僕たちはステージでも、舞台でも、どんなときもハッピーを届けるんです」

川島「そうだね。お客さんの注いでくれた愛情よりも大きな幸せをお返しするのが、僕たちTravis Japanの決まり事だしね」 

引用元:『ダ・ヴィンチ』2020年11月号

 

"アイドルがくれる幸せ"ってなんだろう。

 

きっと、Travis Japanが差し伸べてくれた手を躊躇わずに掴んだ時、手を伸ばすことを諦めなかった時、そこに待っているのが「Travis Japanがくれる幸せ」なんだろう。